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95件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1990-12-18 第120回国会 衆議院 土地問題等に関する特別委員会 第2号

土地商品にあらず、こうおっしゃったのは、昭和三十九年、当時の建設大臣でありました瀬戸山建設大臣がおっしゃった言葉であります。しかしながら、その後の自民党の対策というのは、土地の値上がりは需給関係だという考え方から、常に需給需給、供給を多くすれば土地問題は解決する、地価問題は解決する、こう言われてきておるし、今もまだその論議が進んでやられておるのであります。

井上普方

1989-11-14 第116回国会 衆議院 土地問題等に関する特別委員会 第5号

土地商品にあらずということを国会答弁されましたのは瀬戸山建設大臣が初めてだと思います。そうしますと、二十何年前の御答弁と同じことをやられておるわけであります。それほどまでに政府が実はこの土地問題に対しまして無策であったということが言えるのではないかと私には思われるのであります。そこで、この法案につきまして与野党の考え方の違うところを示しながら質問を展開してまいりたいと思います。  

井上普方

1983-03-24 第98回国会 参議院 建設委員会 第3号

この相原さんは「多摩新報」にずうっと書いておられますけれども、この許可認可等臨時措置法による都市計画決定――当時の瀬戸山建設大臣が行われたものは、これは違法だと、こういうとんでもない戦争中の勅令を使って閣議が必要なものを、旧都市計画法法律の定めを無視して建設大臣が勝手にこの勅令を使って決めてしまったのは無効だということをずうっと主張されてこられました。  

上田耕一郎

1983-03-24 第98回国会 参議院 建設委員会 第3号

六月には十万六千余名の反対署名簿田中角榮自民党幹事長の添書を添えて瀬戸山建設大臣に手交というようなこともあった。七月二十九日衆議院建設委員会で、神近市子議員質問に対し瀬戸山建設大臣計画決定認可を言明した。  このとき、当時の竹内藤男都市局長――いまの茨城県知事竹内藤男都市局長神近議員質問に対して、こういう答弁をしている。

上田耕一郎

1981-11-12 第95回国会 衆議院 建設委員会 第2号

当時建設大臣瀬戸山建設大臣であります。この問題に関してどう答弁しておるか。「法律によって行政機関にまかされておる」と言いながらも、「もちろん国会でいろいろ意見を聞くということは、私は非常に好ましいことであると考えます」、そういうふうにはっきり国会意見を聞くことの重要性を認めておるわけであります。また、五十三年に公団家賃の一斉値上げが行われた。

中島武敏

1980-03-07 第91回国会 衆議院 建設委員会 第5号

たとえばこの法律ができた昭和四十一年のときに、当時の瀬戸山建設大臣は、「これはできるだけ資金量をふやさないと、この制度のほんとうの生命というものは出てこない」、資金が多くなることによって生きてくる、こういうことを言っております。また四十一年度ですら、この瀬戸山大臣は、当時予算の要求額といたしまして二百億円は必要だと主張したようでありますけれども、当時はたったの十五億円にとどまった。

貝沼次郎

1972-06-01 第68回国会 参議院 大蔵委員会 第29号

瀬戸山建設大臣だったと私記憶しておりますが、農民に対して、土地商品ではないのだ、これを商品として売ることはけしからぬということで、農民をぎゅうぎゅう締めながら、現に商品として土地を扱っている大法人、これに対しては何の規制措置も講じなかったというのが、いままでの自民党政府のやり方だと私は思います。そこのところを根本的に改めなければ、地価の問題なんて解決できないと思う。  

渡辺武

1971-08-10 第66回国会 参議院 建設委員会 閉会後第1号

これがかなり大きな反響を呼びまして、地元でもたいへんな問題になり一もちろんその前から問題でありましたが、その前は、何かまぼろしのダムといったことで、まあ影におびえておるというような状態でありましたけれども、当時の瀬戸山建設大臣発言から、政府はやはり沼田ダム建設の意図があるのだということでかなり問題になったけれども、問題が少し大きくなり過ぎて、その後、続いて橋本登美三郎君が大臣のときにはだいぶ答弁

茜ケ久保重光

1971-05-21 第65回国会 参議院 決算委員会 第15号

和田静夫君 私は、瀬戸山建設大臣発言に触れたことを十分頭の中に入れておいていただきたいと思います。たいへん恐縮ですが、河川局長はなお川崎さんですね。——そこで、きょう、もう時間がなくなりましたから質問しないのですが、私は、この前、四十五年の十一月六日の決算委員会川崎さんが私に約束していることがある。その資料が一向に届かないものですから、それを早く届けてもらいたい。

和田静夫

1971-05-21 第65回国会 参議院 決算委員会 第15号

それは四十一年五月六日の衆議院建設委員会で、当時の瀬戸山建設大臣は、古くから入っている人の住宅家賃まで上げようとは思いませんと断言されているんですね。したがって、検討の結果、古い人の家賃を上げますと言ったら、大臣約束違反になります。それはいまでも生きているでしょう。十分に考えなければならぬと思いますが、いかがですか。

和田静夫

1971-03-10 第65回国会 衆議院 建設委員会 第8号

このとき、本委員会におきましても、国会の知らないうちに値上げが発表になるということで、関係公団の皆さんにお集まりを願って、瀬戸山大臣以下いろいろと真剣な論議をした速記録が残っておるわけですが、これで見てまいりますと、まず第一に、当時の瀬戸山建設大臣は、あき家住宅値上げをする必要性なり理由をこんこんと説明しておられるわけです。

佐野憲治

1971-02-22 第65回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第3号

四十一年の国会における瀬戸山建設大臣も、働いた賃金すらも受け取ることができないというような悲劇はなくさなければならない、そのためには下請、孫請が不払いを起こした場合は元請が一切の法的責任を持つような立法措置を講じなければならないのだということを声を大にして国民約束をしておられるわけであります。そうして今日まで時間もかなり経過をしておりますが、いまだそれが実現を見ておりません。

長谷部七郎

1970-05-13 第63回国会 衆議院 建設委員会 第19号

そのときにおける当時の瀬戸山建設大臣並びに住宅局長の尚さん、あるいは住宅公団水野理事、これらの御出席を願って、重大な問題として、今後あき家問題だけではなくて公団住宅入居者に対する問題に波及する要因を含んでおる、こういうことで政府方針をただし、これに対して政府からの答弁が出ておるわけなんです。

佐野憲治

1970-05-13 第63回国会 衆議院 建設委員会 第19号

ところが、あき家の家賃値上げによって——家賃は一億九千万円上がるんだといたしますと、特別補修するために三億七千八百万円のお金を要するんだ、これでは二カ年間値上げいたしましても全部特別補修のほうに回ってしまって困るんだ、こういうことでまだ方針がきまっていなかったのに対して、当時の瀬戸山建設大臣は、閣議の了解を得た、大蔵大臣とも折衝した、そういう中で二割は償却に回す。

佐野憲治

1970-03-18 第63回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第6号

その点では、大臣も御承知でしょうけれども、たとえばなくなった河野建設大臣の問題はともかくとして、四十年に瀬戸山建設大臣が、万国博までに間に合うように四十一年度から着工したいと言っておるのですね。保利建設大臣のときには、四十三年の秋までには着工ルートを決定すると談話を発表している。それから四十四年、去年総理大臣が、優先順位を含めて秋には決定する。

藤田高敏

1970-03-16 第63回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第4号

補助金もこれに対して八十四億というのですが、昭和三十六年の調査、これはたいへん古い調査でありますが、このとき改良ないしは新築を必要とする不良住宅が約三万戸ある、こういうふうに当時の瀬戸山建設大臣答弁をしておるのです。参事官もおられるから聞きますが、一体新築ないしは改良を必要とする不良住宅というのはどのくらいあるということに、現在の調査ではなっておるのですか。

山口鶴男

1969-06-05 第61回国会 参議院 内閣委員会 第18号

前川旦君 それは大臣、いままでのいろんなお話と違うと思うんですが、実は三年ほど前に建設委員会で、瀬戸山さんがまだ建設大臣のときに質問をいたしましたが、そのときも瀬戸山建設大臣がはっきり、橋は将来三本要ると思う、将来必要だと思う、やがてかけるようになると思うということを言っておられましたが、それからずっとどこのお話でも、いろいろ新聞出ておりますけれども、いろんな大臣談話では三本必要だ、三本かけるんだというようなことを

前川旦

1968-11-06 第59回国会 衆議院 大蔵委員会 第5号

その当時、河川敷を開放する、こういうことでまず多摩川多摩川がある程度緒についたならば続いて荒川、こういうことで、当時の新聞の切り抜き記事までありますけれども、ちゃんと開放計画が立てられて、当時の瀬戸山建設大臣談話さえも、開放計画を具体的に進める、こういうことで発表されることになったわけです。その後の具体的な進捗状況をひとつお知らせいただきたい。

只松祐治